「癒し」・・・私も「カウンセラー」の看板を掲げている身です。「癒し」ということばの使い方にはこだわりがあります。

「癒し」はもともと、それほど使われることばではありませんでした。それが1980年代末からブレイクし始めたのです。
その火付け役になったのが上田紀行さん。彼は文化人類学者で、1980年代当時は大学院生でした。現在は東京工業大学で仕事をしていらっしゃいます。
スリランカでのご体験をもとにしたイベントがきっかけとなって、「癒し」ということばが一般的になるようになったわけです。

どういう意味で上田さんは「癒し」ということばを使ったのでしょうか。上田さんと私には共通した見方があり、いま社会的に使われている意味とは異なることです。上田さんは著書『癒しの時代をひらく』(法蔵館、1997年)で以下のように述べています。

「癒し」とは、「傷つくこと」からの回復ではない。傷つけられ、悩み、苦しんで、それが癒されることを心から喜び、そしてまた人生の冒険に一歩を踏み出していく。終わることのないそんなプロセスを少々の楽天主義をもって味わい尽くすこと、それがわれわれにとっての「いい」加減の「癒し」となるのではないだろうか。
もがき苦しむことすらできない漠然とした不安感、欺瞞的な自分を生きているという漠然とした不全感がわれわれをわれわれ自身から遠ざけ、世界から遠ざけている。もっとわれわれは愛とか生とか死に苦しむ悩むことに正直であっていい。それは「癒し」への大事なステップだからである。「傷ついた私」を深く探求することもせず、安心できる世界を「癒し」のパッケージとして買ってきて、そこにしがみつくことは実は「癒し」とはほど遠い。

「モーツァルトの音楽を聞くと癒される」「○○に△△してもらうと癒される」・・・それは私や上田さんが使っている「癒し」の意味とは異なります。

「癒す」とは人にしてもらうことではなく、自分でしていくことです。自分で「癒す」ということは、苦しいこともあるし、悩むこともあります。

私にできることといえば、そんな苦しいこと、悩むこと・・・その解決のお手伝いをすることです。苦しいことや悩むことを私が解決することはできません。

私ところにカウンセリングに来てほしい方。自分の問題を自分の力で解決したい方です。
自分の問題をカウンセラーに解決して欲しい、つまり「自分を癒して欲しい」。他力本願の方はどこのカウンセラーのところに相談にいっても解決できませんし、私のところに来ていただく必要もありません。
ポジティブに、前向きに、自分の人生を真剣に楽しく生きようとしらっしゃる方。ぜひ、ご来談、お待ちしています。

「癒し」の続きは明日また書きます。