「癒し」とは? その2

上田紀行『癒しの時代をひらく』

昨日の続きです。「癒し」について考えます。昨日の話では、「癒し」は1980年代末から一般的に使われるようになった、と書きました。実は、古代から「癒し」はあったのです。この「癒し」ということばを文化人類学では「イニシエーション」「通過儀礼」といいます。

「イニシエーション」とは何でしょうか。日本でも「卒業式」「成人式」などある一定の年齢に達したりある時期を経過するときに「儀式」のようなものがあります。それが「イニシエーション」です。南太平洋の島々では「成人式」がバンジージャンプだったり、サメを素手で捕まえることだったり、アフリカのある地域ではライオンを狩ることだったりします。

いまの日本では、「卒業式」「成人式」が形だけになっているような気がします。そうすると、社会生活で必要なある能力を身に付けたことが社会的も証明されないことになるわけです。中学までは在籍していれば「卒業」になるし、ある年齢に達すれば「成人」になります。そして、何をもって「卒業」か「成人」かが明確でないと、社会で働く、となったとき、社会で働く能力が備わっているかどうかが不明確になるのは当然ですね。
社会で働く力、といえば、人と関わる力と、成功するまで失敗し続ける力(自信)です。この2つの力が備わっているかどうか、一定の方向を示すことが社会的に必要な気がします。

昨日ご紹介した文化人類学者の上田紀行さんは、著書『癒しの時代をひらく』で、イニシエーションや「癒し」について、以下のように表現しています。
(強調部分は引用者です)

 たとえば、21歳の母から「甘えてはいけない」と言われたことが「痛み」となり、甘えたら愛されないという恐怖が50歳になっても自分を縛りつける人であっても、その状況を捉え直すことから癒しは始まる。まずそれに怒ること、そして相手の立場も理解し始めること・・・。そして、それから重要なのは、3歳の時の自分は母からの愛が受け取れないと世界のすべてが閉ざされていしまうような、無力で孤独な存在だったが、すでに大人になっている自分は、3歳児のように無力でも孤独でもないということを理解することである。
 言い換えれば、「甘えてはいけない」と自動的に行動しているとき、その人は常に3歳児の自分に戻ってしまい、その時の恐怖によって縛られているわけだが、その時からは多大な時間が経過しているということを認識することだ。
 そんなことは分かりきっているというかもしれないが、実は誰でも自分に関してはそんな単純なことが分かっていないのだ。そして、今や母から愛されなくても、自分は十分生きていけるし、自分の人生を歩んでいけることを悟ることである。
 実は、このプロセスは、イニシエーション
という形でわれわれ人間社会に存在してきた制度であった。・・・「子供は死んだ。そして大人として生まれ変わった」というイメージが広く見られるのだ。
・・・
 子供がいちど大人になり、一度過去との関係を断って、その上で世界との一体感を再創造することこそがいま求められている「癒し」なのである。

そう、「癒し」とは・・・。
子供の自分を一度死んだことにして、新たに大人としての自分を創ることです。それが問題解決、ということです。
私は「こうしたらいいですよ」とアドバイスをしません。あくまでご相談に来られる方が潜在的にもっている力が十分に発揮できるようにお手伝いすることです。

そんな風にして明るく輝く未来を自分で創りたい方、ぜひカウンセリングにいらしてくださること、心よりお待ち申し上げております。

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