生きる欲求を捨てるって、どういうこと?

宮元啓一『わかる仏教史』

おはようございます。

ここのところ、自分らしい生き方、仕事・働き方、ということで「英雄の法則」にはまっている私です(というのも、ある研究会で報告をする機会をいただいているので、猛勉中なのです)。考えのもとになっているのは神話学者のジョゼフ・キャンベルです。キャンベルの「千の顔をもつ英雄」を読みつつ、「仏教の勉強も必要か・・・」と思い、ちょろっと読み始めました。

宮元啓一『わかる仏教史』(春秋社、2001年)。著者の専門はインド哲学で仏教徒でもない、という方です。それだけに、仏教徒ではない私でも入りやすそうな、と思いこの本を参考にすることにしました。

そんなわけで・・・仏教に関しては、まったく知識もない私ですが、ここのブログで、ちょろちょろ学んだことを書いていきます。

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インドでは紀元前1000年ごろ、ガンジス川あたりにアーリア人が住み着くようになり、それまでの先住の人々の文化と混ざりながら、独特の文化をつくるようになったわけです。

その先住の人々はどんなことを考えていたのかというと、「輪廻(りんね)」。よく仏教ではでてくることばですね。「輪廻」とは、生きているものが生きることと死ぬことを繰り返す、という意味です。ついつい現代に生きる私たちは、「死んだらもう一度生きるのか」と「生きる」方に注目すると思いますが、当時のインドの人々は「生きたらまた死ぬのか」と「死ぬ」方に注目したそうです。

当然何度も何度も死ぬのはつらい・・・

何とかこの死ぬことのつらさから抜け出す方法がないか、ということで、「解脱(げだつ)」。これもよく仏教ででてくることばですね(私でも聞いたことがあるくらいですから・・・)。解脱は輪廻の輪を永遠に切ることです。

どうしたら解脱できるでしょうか、輪廻の輪を断ち切れるでしょうか。

輪廻の大本になっているのは、生きたいという欲求だ、と当時の人々は考えたわけです。だとすれば、生きることの欲求を捨てれば、輪廻苦しみから解脱の方向へ向かうことができる、と考えたそうです。

となると、「出家」。家を出て世俗的な暮らしを止めることです。食べ物をもらうとき鉢一つもって在家の人からもらう、着るものもボロ、定住せずにさまよい歩く・・・

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これだけの知識でも私にとってはかなりの驚きで、新鮮です。まずは生きることへの欲求を捨てることからはじまる、これが仏教の考え方の原点だとは初めて知りました。

私も何のためにこんな勉強をするのかといえば、カウンセリングに生かすためです。カウンセリングでは生きる欲求を高める働きかけをしますが、まず、今日のところでは仏教は生きることへの欲求を捨てることからはじまる、ということを確認することで終わります。

たぶん、最終的にはいきつくゴールは同じようなところのような気はしています。
一応、私、これでも、昔は世界史の教師でした。こんなことも知らないでよく教えていたものだ、と思いますが、キリスト教やイスラーム教についても似たようなものです。まぁ~いいか~~

知らないことは知らない、わからないことはわからない、ということ。自分に自信がついてくると抵抗感が少なく人にいいやすくなります。

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