あなたはいつまで「ラクダ」でいますか? 

ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った』

おはようございます。

8月にブログで「英雄の法則」について書きました。「英雄の法則」は「分離→通過儀礼→帰還」の3過程を経て人は誰でも英雄になる、という考え方です。

「もしや・・・」と思い、7~8年前に読んだニーチェの代表作『ツァラトゥストラはこう言った』(氷上訳、岩波文庫)の有名な「三段の変化」を読み直しました。結果は、思った通り。「英雄の法則」にどことなく似ているものを感じます。今日から3日連続で、お伝えします。

———————————————————————————————————————————————————————-

ニーチェが『ツァラトゥストラ』でいう「三段の変化」は以下の通りです。

「わたしはあなたがたに、精神の三段の変化について語ろう。どのようにして精神が駱駝(ラクダ)となるのか、駱駝が獅子となるのか、そして最後に獅子が幼な子(おさなご)になるのか、ということ。」

つまり、「三段の変化」は、私のことばにすると、「ラクダ→ライオン→子ども」です。「動物と人間をごっちゃにしてわかりにくい!」なんて思うのは私だけではないと思いますが、とりあえずその辺は考えないことにしていただけると助かります。

今日は「ラクダ」についてみましょう。

ニーチェは以下のように「ラクダ」について続けます。

ラクダ

精神にとって多くの重いものがある。畏敬の念をそなえた、たくましく、辛抱づよい精神にとっては、多くの重いものがある。その精神のたくましさが、重いものを、もっとも重いものをと求めるのである。

どういうものが重いものなのか? と辛抱づよい精神はたずねる。そして駱駝のようにひざを折り、たくさんの荷物を積んでもらおうとする。どういうものがもっとも重いものなのか、古い時代の英雄たちよ? と辛抱づよい精神はたずねる。わたしもそれを背負い、自分の強さを感じてよろこびたい。

もっとも重く苦しいものとは、自分の高慢の心に悲しみを与えるために、すすんでひとに屈従することであろうか?・・・

それとも、われわれの努力したことが成就して、ようやく勝利を祝おうというまぎわに、それを捨て去ることであろうか?・・・

それとも、病気になりながら、慰める人たちを家にかえし、自分ののぞみを聞いてくれない<つんぼ>の人たちを友だちにすることであろうか?

それとも、真理の水なら、汚い水のなかへもおりて行き、つめたい蛙だろうが熱い<がま>だろうが、嫌がらないことであろうか?

それとも、われわれを軽蔑する者を愛し、幽霊がわれわれを恐れさせようとするときに、それに手をさしだすことであろうか?

忍耐づよい精神はその身を引きうける。荷物を背負って砂漠へいそいで行く駱駝のように、精神はかれの砂漠へといそいで行く。

ガマン

「ガマン」「辛抱」「忍耐」・・・日本では「美徳」とされてきているものですね。ニーチェがいうとおり、とても重たいものです。

仕事でいえば・・・

人に合わせる、自分の仕事の成果が会社はもちろん上司やライバルにとられる、病気にまでなって働くだけでなく、自分の話を聞いてくれない人を同僚として自分の気持ちを押し殺す、そして・・・求めても得られもしない「真理」を求めて汚い水のなかに入るか・・・

(クライエントさんが苦しい状態に陥るときは「正解」「正しさ」「客観性」を求めるときです、そしてかつて私もそうでした)

いまのあなたがもしラクダだったら・・・いつまでラクダでいますか?・・・なんて、私が問う必要がなく、ニーチェはラクダの話が終わったら、すぐにつぎの話にうつります。

しかし、もっとも荒涼たる砂漠のなかで第二の変化がおこる。ここで精神は獅子となる。精神は自由をわがものにして、おのれの求めた砂漠における支配者になろうとする。

ライオン

ということで、ラクダでいるヒマなんぞありません。「英雄の法則」では、すぐにコーリンングによっていまの状況から離れ、つぎのステップ「通過儀礼」に踏み出します。ラクダの状態は「分離」の前の状態なわけです。

ということで、明日はライオンの話をします。

★オススメセミナー「1日12時間のデスクワークで体も心も凝っているあなたへ 自分でできる体と心のほぐし方」

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です