人を嫌わなかったら、どうなるでしょうか?

ニーチェ『曙光』

おはようございます。

今日もいきなりニーチェのゴツイことばから失礼いたします。

「理由と、それが理由にならぬこと。 -君は彼を嫌悪しており、この嫌悪に対する理由を沢山もち出す。 -しかし私は君の嫌悪を信用するだけであり、君の理由は信用しない! 本能的に生じるものを、君や私に対して三段論法のように提出することは、君自身の胡麻擂り(ごますり)というものである」(『曙光』358、茅野訳)。

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会社の企画会議でプレゼンをしたとします。一生懸命がんばって準備したのに、採用されたのはあなたの企画ではなく、後輩の企画だった・・・。

そんなとき、あなたはどんな気持ちになるでしょうか。自分の努力を受け入れてくれない「悲しみ」もあるかもしれません。

当然、「」でしょう。同僚に対して、あるいは自分の企画を受け付けなかった人たちに対して腹が立つと思います。

このときに「嫌」を感じないで、理屈をつけるとどうなるでしょうか。

「あの企画は自分は本気で取り組んだわけでもないから、採用されなくて当然・・・」と思えば、「自分はダメ」となるのでパワーが落ちます。

「アイツの企画なんてどうせ大したことはない、社内でオレを見る目があるヤツがいないだけだ、オレは本当はスゴイんだ」と他人のせいにしたら、いまの問題の改善点もみえず、進歩もないままに終わるでしょう。

いずれにしても、自分の感情に理屈をつけると、パワーも落ち、成長のスピードも遅くなるのです。

狐、すっぱいぶどう

イソップ童話に「すっぱいぶどう」の話があります。狐があるとき、高いところにおいしそうなぶどうをみつけました。狐は何度も何度もジャンプしました。それでも届きません。そこで狐はこういいます。「どうせ、あのぶどうはすっぱいから、自分の食べたいぶどうではなかった」、といいわけをするわけです(ギョーカイ用語で「合理化」といいます)。

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倉成央『いい人すぎて 結果が出せない人 のための問題解決術』

「私(著者の倉成さん)が開催しているグループカウンセリングの場で、参加されている方々に、『これから100人の人と出会うとしたら、あなたは100人中、何人に好かれたいと思いますか?』という質問をしたことがあります。・・・『100人中1人に好かれたらそれでいい』というのは、好きなものは好き、嫌いなものは嫌いと、自分の気持ちをハッキリ表現することになるので、一部の人たちからは敬遠されることもあっても好かれることも多いのかもしれません」(倉成央『いい人すぎて ’結果が出せない人’ のための問題解決術』大和書房、2011年、28~30ページ)。

嫌われないようにしたら、どうなるでしょうか。

「過剰に相手に気をつかい、同調するのは、’本当の自分’を表現することから自分を遠ざけると同時に、好ましい人間関係からも遠ざける結果になってしまうのかもしれません」(32ページ)。

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「嫌」を感じれば、「つぎは何とかしよう!」というパワーにつながります。自分が成長したいのであれば、「嫌な人」はどうしても自分にとって必要なのです。

別の視点でみると・・・自分が人を嫌う権利があるのだとすれば、人が自分を嫌う権利はあるでしょう。

自分が人から嫌われなくなったらどうなるでしょうか。「人から嫌われる権利」を放棄すれば、誰からも相手にされない、ということにならないでしょうか?

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最初のニーチェのことばに戻ります。

「本能的に生じるものを、君や私に対して三段論法のように提出することは、君自身への胡麻擂りというものである」。

自然にわきあがっている感情に理屈をつけて押し殺せば、自分をごまかすことになる・・・

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