そして、あなたも最後まで輝きます

おはようございます。

おととい、フランクル『夜と霧』から、強制収容所で亡くなる数日間で大きく成長してマロニエの花のように最期を飾った女性の物語をお伝えしました。

この話を読んで、ある物語と女性を思い出しました。

オーストリアの作家シュテファン・ツワイクが1932年に発表した名著『マリー・アントワネット』(髙橋・秋山訳、上・下、岩波文庫、1980年)です。

とても有名な作品で、日本では漫画家の池田理代子さんが感銘を受けて『ベルサイユのばら』を書きました。

今日はツワイクの作品を通じて、マリー・アントワネットについてご紹介します。

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マリー・アントワネットが生まれたのは1755年のこと。彼女はオーストリアのハプスブルク家の皇女として生まれました。当時、オーストリアのハプスブルク家とフランスのブルボン家は非常に仲が悪くて戦争を繰り返していましたが、お互いの利益が一致したため、手を組んで、イギリスやプロイセンと戦争を始めます。マリー・アントワネットが生まれた翌年の1756年のことで、1763年の7年に渡りました(七年戦争、といいます)。七年戦争の後、マリー・アントワネットはブルボン家とハプスブルク家の友情のあかしとして、1770年、なんと14歳で、まだ会ったこともないフランス・ブルボン家のルイ16世のもとに嫁いだわけです。ブルボン家はどこに住んでいたところがヴェルサイユ宮殿で、マリー・アントワネットは贅沢三昧の生活を送ることになるわけです。

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ツヴァイクの文章を引用します。

「もともとマリー・アントワネットは、もっと猛烈に読書しなければならないはずであった。彼女の教養は中以下だったからである。十五歳でドイツ語はいい加減に忘れてしまっているし、フランス語はまだ完全に覚えきれず、お習字はへたくそ、作文は誤字やら当字やらに満ちている」(上、67ページ)

この調子で成長しないまま人生を終えるのも選択だったのでしょう。そして、彼女は自分で人生を切り開きます。

1789年、フランスでは革命が大きな展開をみせます。とうとう、「ギロチン」と呼ばれる「人道的処刑道具」まで登場して革命に反対する人の首がつぎからつぎへとはねられる時代です。夫のルイ16世も例外ではなく、1793年1月に処刑されます。

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つぎの標的は、マリー・アントワネットです。ツワイクの小説で、家族や自分の命の危機に瀕したマリー・アントワネットが、自分は処刑されるとわかっても、最期の最期まで成長して輝く様子が描かれています。

「いま、最後の瀬戸際に臨み、土壇場に来て、マリー・アントワネットは、彼女の名にともなう責任を理解したのだ。ここで、この薄暗い訊問室でこそ、ヴェルサイユの輝く広間で十分には示しえなかった王妃たる実を、自分は示さねばならないのだと、彼女は思う」(下、302ページ)。

処刑される4日前、法廷での答弁です。非常に迫力のある名場面です。

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(マリー・アントワネット)「そうです、国民は欺かれつづけてきました。しかも残酷きわまる欺され方です。しかしそれは夫及び私のせいではありません。」

(裁判長)「では国民は誰に欺されたというのか?」

(マリー・アントワネット)「そういうことに関心を持っていた人たちによってです。私たち自身は、国民をあざむく気など、もうとうありませんでした。」

・・・

(裁判長)「ではいったい、貴女のお考えで、国民を欺瞞することに関心を持っていたというのは、どういう連中ですか?」

(マリー・アントワネット)「そういう人の名を知っているのでしたら、さっさとお答えします。」

(下、304~5ページ)

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そして、ツワイクはゲーテのことばとともに、処刑の前日、夫の妹のエリザベスにあてて書いた手紙を引用しています。

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ゲーテは人の死せんとするその直前の最後の言葉について、かつて次のようなすばらしい言葉を述べたことがある。「生命の終わりにおいて、いままで考えもしなかったような思想が、覚悟をきめた人の心にあらわれるものである。それは過去の頂の上に燦然と降臨する聖なる霊のごときものである」。そのような神秘の別離の光が、この死にきよめられた女性の最後の手紙の上に輝いている。・・・エリザベス女公にあてたこの最後の別離の手紙におけるほど、マリー・アントワネット、その魂を力強く決然たる明澄さにひきしめたことはない。

「愛する妹よ、いま貴女に最後の手紙をしたためます。いま判決を受けてきたところですが、恥ずべき死ではありません。犯罪人にとってのみ死刑は恥ずべきことであります。私の場合は、貴女のお兄さんにふたたびお目にかかれるだけのことであります。兄上ひとしく無邪気に、兄上の最後の瞬間にならいたいと私も思っております。良心になんらやましい点のない人がすべてそうであるように、私の気持ちは落ち着いております。・・・確固たる主義と自分自身の義務を正確に果たすことが、人生の最も重要な根本であり、彼らが相互になかよく信頼しあって行けば、幸福になれるだろうということです。・・・」

(下、327~8ページ、強調部分は引用者)

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この手紙はマリー・アントワネットの死後21年後に公になったものだそうですが、とても格調高く美しい文章に感じます。「確固たる主義と自分自身の義務を正確に果たすこと」・・・フランクル流にいえば「人生に問われている意味」でしょうか・・・「幸福になれるだろうということです」。

人間、最後まで自分の人生を生きようと思えば生きることができるのです。それは死期を悟っているかどうかは関係ありません。自分が変わろうと思うときに変わるのです。

もちろん、あなたも自分の人生を変えることができます。そして、自分の人生にYesということができます。

 

 

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