子どもの競争、競争から人が学ぶもの

おはようございます。

今週は「常識」について触れ、昨日は「競争」することが「常識」であることに、クリストフ・アンドレの考え方をご紹介しながら私なりの考えをお伝えしました。

ここ近年、久しく学校の運動会の徒競走でゴールするときに全員で手をつなぐ、ということが広まっている、という話を聞いています。

今日はこの問題について私なりの考えをお伝えします。

結論から申し上げます。私は学校の運動会の徒競走で全員一緒にゴールすることには反対です。そして、だからといって、この現象を競争を美化する論理として持ち上げることにはさらに反対します

昨日も引用したアンドレの著書(『自己評価メソッド』紀伊国屋書店、2008年)をおさらいしましょう。

「競争が行われるということは、『誰かが勝ったら、誰かが負ける』ということである。したがって、『自分が勝つためには、相手に勝たせないようにしなければならない』、さらに言えば、『相手を引きずりおろさなければならない』。こんなことが常態化したら、社会はたちまちギスギスしたものになって、個人の幸福はおびやかされるだろう。・・・競争に勝ち抜いて権力を得れば、確かに<自己評価>は上がる。だが、その過程で人から愛されなくなり、孤独におちいったとしたらどうか?・・・ここでも<愛>は<権力>に勝るのだ」(232〜233ページ、強調部、引用者)。

クリストフ・アンドレ『自己評価メソッド 自分とうまくつきあうための心理学』

子どもの場合何が得意で何が苦手か、わからないことです。運動が得意な子もいるし、苦手な子もいます。運動が得意な子は運動が得意であることに自信をもって欲しいのです。そして、徒競走に勝てない子には得意な分野が他にあるはずです。何か得意なことをみつけるツール、きっかけとして運動が得意な子に自分が優れている自信をみつけてもらうことは私は大切だと思っています。

そして・・・運動も、美術や音楽も、勉強も、苦手な子はいると思います。そんな子は、

学校という名の社会の価値観には合わない素晴らしい才能の持ち主です。

競争に勝てない、ということは「人間としてダメ」ということではなく、社会や他人の価値観に合わせるのが苦手なだけで、自分の基準で生きる才能があるのです。

あなたも子どものころは、学校という社会の価値観に合わなくて苦しい思いをしてこなかったでしょうか。教師からも嫌われ、「お前の考えはおかしい」といわれ、仲間はずれにされたりして苦しい思いをしてこなかったでしょうか。そんななかで、「人の役に立つ人間になろう」なんて思ったとしたら、さぞかしつらくはなかったでしょうか。

あなたはあなたの生きる道があります。社会の価値観や基準に合わなければ自分の基準をつくることができます。

私が全力でサポートいたします。

 

 

 

 

 

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