おはようございます。

今日は誕生日で46歳になりました。「おめでとうございます」といわれると、もちろんおことばは受け止めます。うれしいか、といわれれば、私の場合はそうでもないです。年をとったから、というのでもありません。一時期は自分が生きていることにどれだけ喜びを感じているか、といった問題と絡んでいる気がしましたが、そうでもありません。以前勤めていた嫌な職場で、職員の誕生日近くになると、ノート1ページにお祝いメッセージを書風習が嫌だったこととも関係なさそうです。

もちろん、お誕生日おめでとうといわれてうれしい人がいることは、私も認めます。さらにいえば、かつて占い学校の校長先生とお話をしたとき、誕生日が大事なのはそれだけその人がこの世に生まれてきたことに意味があることだ、とおっしゃていたのを10年以上経ったいまでも覚えています。中国の占いである四柱推命なんかも誕生日を非常に重要視するのも納得しています。

話をもとに戻しましょう。私の場合、「お誕生日おめでとうございます」があまりうれしくないのは、誕生日の存在そのものがないものとして考えていることと関係しそうです。

time

よ〜くよ〜く考えてみると・・・本当によくできているとは思うものの、「日」「年」は自然界に客観的に存在するものではなく、人間がつくったルールのようなものです。時間という考え方も、人類誕生のときから存在していたものではなく、人間が社会の変化のなかでつくったものです。

本当に時間はよくできていると思います。時間をつくったことで、短い時間でものをつくることができるようになり、人と会うことにスケジュールをたてることができ、先のことまで計画をたてることができて複雑な仕事も順序だてて効率よく生産的にできるようになりました。

その反面、太陽が昇れば目が覚めて、太陽が沈めば眠くなる、という自然のサイクルに生きることを手放しました。その結果、睡眠障害、うつ、アルコール依存などの問題も作り出しました。

help

あなたはどう考えますか。

お誕生日を祝ってもらって本当にうれしいのなら、それはあなたの心のなかにお誕生日があるです。そのことを私を含めて誰も否定する権利はまったくありません。

そして、あなたの心にお誕生日がないとき、お誕生日を祝ってもらって本当はうれしくないのだとしたら・・・うれしく受け取らなければならないものだと考えているだとしたら・・・あなたも苦しくはないでしょうか。

常識を、疑って疑って考えると、自分の考えがみえてきます。