おはようございます。

自分に自信をもつ、自分らしい人生を歩む、ということはどういうことでしょうか。誰かに依存しない、必要なときは自分から助けを求める姿勢につながることと関係します。誰かに依存することなく、自分から主体的に助けを借りて難しいことを切り抜ければ、それだけ自分に対する信頼感は高まるでしょう。

当然、自分らしい生き方を求めて真剣に生きているあなたは私にいわれなくても、ご理解いただいていることでしょう。

それでも・・・ことばの遣い方を一つ一つ丁寧に見直すと、意外な発見があるかもしれません。具体例は無数にありますが、今日は数例をみていきましょう。

基本的な考え方は以下の通りです。(グールディング、深沢訳『自己実現への再決断』星和書店、1980年、5〜6ページ、強調部引用者)

たとえば彼が「ある考えが頭に浮かんだんですが」と言ったとする。<考え>が頭に浮かぶなどということが一体全体あり得るだろうか? とんでもない話。考えているのは誰なのだろう? 実は彼以外の何者でもない。そこで彼に別な言い方、つまりその考えは自分が自分の頭で考えたのだという誇りを持った言い方に指示するわけだ。「不安感に襲われる」とか「憂うつな感情にとりつかれる」とか言った場合も同様で、事実は自分が不安になったり、憂うつになっているのであり、前の言い方は自分でそうなっているのを認めないための逃げ口上にすぎない。したがってこうしたときには<私>という言葉で始め「私は私自身を怖がらせている」「私は自身を悲しくさせ、憂うつにさせている」と言い変えさせ、実は自分がこうした感情を所有しているのだということを確認させるのだ。・・・人間は自分自身で感じるのであり、他人に感じさせることは誰にもできないという事実である。・・・

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○「この店は私を癒してくれる」→「私はこの店で自分を癒す」

人は誰も他人を癒すことはできません。この店に入って自分を癒すことができたら、店の人の力ではなく、本人の力です。

○「あなたが私を嫌がらせる」「私を怒らせるな!」→「私はあなたが嫌いだ」「私はあなたに腹を立てている!」

同じメッセージがあっても、受け取り方は人それぞれです。他人の言動によって自分が不快な思いをしているなら、他人のせいではなく、自分が不快な感情を作り出しているのです。

○「私は欲しくもない商品を買わされた」「私はだまされた」→「私は欲しくもない商品を買った」

「買った」のは誰でしょうか。どんなに敏腕のセールスマンでも、買う人もいれば買わない人がいます。断ることもできます。「買わされた」「だまされた」ということばを続ければ、一生他の似たようなシーンで、不本意にお金をたれ流すことになるでしょう。

○「パチンコ店が私を誘惑しているから私は毎日パチンコをし続けなければならない」「どうしてもお酒をやめられない」

→「私がパチンコを毎日している」「私がお酒を飲んでいる」

大変厳しく感じるかもしれません。そして大事になのです。他人の誘惑や命令で行動を決めなければならない、ということはありません。他人の誘惑や命令を拒否して自分の考えで生きることも可能なのです。

○「こんなくだらない仕事、やっていられない!」「上司が私を残業させる」→「この仕事をするのは私は嫌だ!」「私が残業している」

「できない」のではなく、「嫌」なのです。嫌は感じれば消えますし、嫌な仕事を重ねねることが自信につながることは私がいまさらいう必要はないでしょう。「上司が私を残業させる」こともあり得ない話です。断る選択もあるでしょう、代替案を出したり、助けを求めたり、余計な仕事を減らす工夫をすることもできるでしょう。

会社に依存する気持ちで仕事を続ければ、苦しい思いをするのは、あなたが一番よくご存じだと思います。

○「お時間をとらせて申し訳ございません」→「お時間をとっていただきましてありがとうございます」

相手の人がいま時間を使っているのは相手の人の責任です。自分が責任をとる必要はないわけです。そして、もう一つ、「すいません」は「ありがとう」に変えると前向きな気持ちになります。

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普段何気なく使っていることばでも、丁寧に見直すといろいろ考えることがあると思います。そして、私からもいわれてたくはないでしょう。

他人のせいに一時的にしても、一時楽になるだけで、自分の首を自分で締めて余計苦しくなるだけなのは、あなたが一番よくご存じだと思います。

そんなあなたと一緒に歩んでいきたいと思います。