おはようございます。

4/22に開催を予定していたコミュニケーションマジシャンを招いての交流会、諸事情により中止にさせていただくことになりました。

私も大変楽しみにしていた分、大変悲しく思っています。

そして・・・マジックと人生に何かつながりはないか、と思い、ここ数日模索していたところ、昔読んだ河合隼雄『影の現象学』(講談社学術文庫、1987年)を読み返しました。何か趣味のマジックに通じるものはないか、そんな思いで読み返しました。

そうしたら・・・道化、ピエロ、ちょっとマジシャンに近いかな?

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まず、道化が果たしてきた役割について述べます。

昔、昔の大昔、国の王様は絶対的な力をもっていました。昔のことですから、人間の支配者としてだけではなく、自然の支配者としても君臨していたのです。そして、人間が生きていくには食べ物が必要不可欠です。農耕や狩猟の成果に対して、あらゆる責任を負います。大きな自然災害が起きて、食糧がなくなって、たくさんの人々が病気でなくなったり餓死したら、国王も権威はガタ落ちになり、当然命もなくなります。国王がいつも光輝く存在にするためには、影の部分を道化として切り離す必要があったのです。

そして・・・

国はどうしても一国で成り立ちません。周辺の国々との交易が必要です。ところが、国王の存在を光り輝く絶対的なものにするためには、隣国を「悪」とする必要も出てきます。そのようなとき、周辺の「悪」としている国々と自由に行き来できる存在として、道化が必要だったわけです。

そして、その「悪」が自分の国のなかで大きな力を持てば、国はつぶれます。「悪」といっても、国王にとって都合の悪い考え方です。都合が悪い考え方が国のなかではびこっているのは国王としては認めたくないし、かといって自分にとって都合が悪い勢力の存在を無視すれば国はつぶれます。そのようなとき、「道化のいうことだから・・・」と、実際に起こっていることを愚かな間違いとして語ってもらうことで、国を維持しようとしたわけです。

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とすると・・・

道化が「あってはならないこと」を語ることを許されているのだとしたら、マジシャンは「ありそうもないことをみせる」ような点で共通しているのかもしれません。

私もあなたも「常識」「〜あるべき」「〜はず」の社会に生きているなか、常識では考えられないことをみせるマジシャンは、本来人間がもっている新しい可能性をみせてくれているのかもしれません。

「マジックなんてバカバカしい」そんな風に誠実に生きてこられたあなたは思うかもしれません。そして、実際にあなたがマジシャンになってマジックをやってみると・・・いままで隠れてみえなかったものがみえて、新しい自分の可能性が見つかるかもしれません。