おはようございます。

昨年は『嫌われる勇気』について感銘を受け、こちらのブログでも何度も取り上げました。

かつてアドラーについて読んでもあまり興味を持ちませんでしたが、時機が来たのかもしれません。

ということで、5年前に読んだアドラーの著書『人生の意味の心理学』(上、岸見訳、アルテ、2010年)を再び読み始めたら、一番最初からスゴイことが書いてあるではありませんか!

人間は意味の領域に生きている。・・・意味を排除して事実だけを考えようとする人がいれば、そのような人は非常に不幸になるだろう自分を他者から切り離すことになり、行動は意味を離れて生きることはできないわれわれは現実を常にわれわれがそれに与える意味を通じて体験するのである。つまり、現実をそれ自体として体験するのではなく、何か解釈されたものとして体験するのである。それゆえ、この意味は、常に多かれ少なかれ、未完成、あるいは、不完全であり、それが完全に正しいということはありえない、と結論づけるのは当然である。意味の領域は、このように誤りの領域である」。

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たとえば、「水」。「飲みたい」と思うか、絶景の湖をみたいと思うかで意味がかわりますね。

水を飲もうとすれば、水道に関わる人、あるいはミネラルウォーターの採掘や販売に関わる人などと必ず関わりがあります。

川の水を飲みに行くのなら靴をはくでしょうから、靴を作る人とも関わります。

また、「水」といっても、意味づけが人によって異なるのであれば、「完全な」「正しい」水も存在しないことになります。

大事な点は3点です。

「水」、自然界に客観的に存在しているようにみえるものでも・・・

1.人によって意味づけが違うこと

2.世界中の人々との関わりのなかで私たちは生きていること(共同体感覚)

3.完全なものはない、正解も客観性もないこと

 

あなたが思っていること、感じていることは、人に聞いたり人と比べるのではなく、ただYESといって受け止めてさしあげてください。

そして、私にとってあなたは大切な存在です。ありがとうございます。